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      ASANTENI SANA

      今、私はどこにいるかといいますと、日本です。
      戻って来ました。無事に。2年間のタンザニア生活を終えて。

      少し遡って、前回写真つきで書いたところの続きから、最後までを、
      報告したいと思います。


      まずは、活動について。

      ものづくりのフォローアップ





      このものづくり。

      本来なら、ママグループの新たな活動への定着や、
      販売による収入向上が期待されるところかと思います。
      そういう面で見れば、私のこの活動は、まるっきり失敗です。

      既存の資源をと計画していたものの、やはり実施段階でさまざまな課題が出ました。
      ・油の種類で質が異なってしまい、原料費が増加(石けん)
      ・原料調達が地域・季節的に遍在しており、確保が容易でない(蜜蝋キャンドル)
      ・新しい製品なので、マーケットがない(ドライベジタブル)

      私は、ここでこの課題解決のために注力することはできませんでした。
      私が目指していたものは、このものづくりにおける課題解決ではなかったからです。

      私が2年間の間に一番大切にしたいものは、別にあった。
      このものづくりは、その一番大切にしたいものを実現するために、必要だった。

      写真は、これまでにアップしていたものと同様、
      講座の参加者自身が、自分のグループのメンバーへ教えているところです。

      私の中では、これが実現できれば、あの環境で2年間の間では、それで良かった。

      ・講座に出てくれた人には、技術移転ができたでしょう。
      ・参加者で自主開催してくれた人は、自分が先生となり力をつけてくれたでしょう。
      ・参加者から教えてもらったグループメンバーも、新たな知識を得てくれたでしょう。

      活動の定着、販売までは至らなかったけど、無理やりそうする必要性を感じなかった。
      彼らの生業はあくまで農業で、農繁期は本当に忙しい。

      農閑期に、通常の活動に加えるかどうかは彼ら次第。

      「農閑期になったら作ろう。販売できなくても、自家消費用だけだって良い。」

      「商売にならなくても、新しい教育を得ることができて、それが本当に良かった。嬉しかった。」

      自分自身の評価としては、これで満足です。


      どうしてこれで満足と言えるのかというと、
      一番大切にしたかったことを、最後の半年間の活動で実現できたから。

      これを実現するために、これを最優先にする必要があった。
      限られた時間、労力、人、情報、お金、環境の中で。

      それが、前回スタートしたと書いていた、Field Farmers School。畑教室。

      もう1つのFFSでも、講義を実施。





      コーヒーとバナナの混作の畑。
      コーヒーの苗を植えてたときの作業風景はこんな感じでした。



      そして、前回準備段階だったもう1つのFFS、養鶏。



      Judyが薬の説明をしてます。



      みんなで飼料づくり。
      ミックスされて売っているものもありますが、材料から自分で作った方が安い。
      何をどの分量で配合するのか、農民自身が用意して、計り、混ぜて、学びます。



      FFSは、原則週1で集まりますが、
      養鶏は毎日の世話が必要なので、FFSの日でなくても、曜日毎の当番制で朝夕の世話を担当。
      この日当番の2人と、当番制に入っていないグループリーダーが確認しているところ。





      活動を終える頃には、ようやく卵も産み始めるところまで来ました。
      これで収益が出始める。



      これは村の活動なので、村民集会で農民自身が活動状況を報告したり、
      村オフィスに活動紹介のポスターを貼りました。


      昨年末に専門家の方と活動の相談をしたと以前に書きましたが、
      その際に言われたこと。

      何かプロジェクトをやりたい?
      何かを始めれば必ず問題が起きる。

      大きなプロジェクトを今からやるなら、半年間では無理。
      任期終了後に必ず問題が起きる。それならやらない方が良い。
      やりたい、やる必要性があるのであれば、任期を延長すべき。

      そういうわけで、プロジェクト、とまではいかないけれど、
      あの環境と残りの任期を考えて、辿り着いたFFS。


      大きなプロジェクトをやって、迷惑をかけることにならなくて、良かったと思った。

      それくらい、始めてみたら、まーあ、これでもかというくらいに、
      たくさんのたくさんの、問題が起きました。


      やると言ったけど、そう言った全員が集まるわけでもなく。

      自主的に手をあげたものの、途中で来なくなる人もそれなりにいて。

      JICAからの支援費には上限があり、それは初めからわかっていて伝えてあったけど、

      あれも欲しい、これも買ってよ、とお決まりの言葉を受け。

      農業は季節にもかなり依存するため、準備段階では週1の数時間ではとても間に合わず、

      農民自身も週に何度か、FacilitatorとなっていたJudyや農業オフィサーには、

      毎日時間を割いてもらうという状況がしばらく続いたり。

      そしてそれにイライラがつのり、急に放棄されたり。

      お金も、私が農業オフィサーたちと計画時に確認していた金額以上に、

      あれもこれもかかってくることがわかり、

      予想以上に農民自身の金銭面での負担も増えてきて。

      一つの畑をゼロから作り上げていくのは、本当に労力のいる仕事で、

      鶏を毎日世話していくのは、目の離せない仕事でした。

      金銭の管理では、これでもかというくらいに、問題が起きて、

      大きなプロジェクトで動いているようなお金とはケタ違いも良いところだけど、

      それでも正しく、無駄なく、有効に使われるためには、

      関係各所の間に入って、理由を聞いて、話し合って、

      あっちの気持ちもわかって、こっちの気持ちもわかってもらって。


      正直、呼びかけてスタートしてしまえば、
      アドバイスをしていくのは農業オフィサーだし、
      私やれることあるのかな、やることなくなるかもな、と思ってました。

      だけど、スタートしてみても、
      こうやって、日々いろんな問題が起きていました。

      私は、農民自身でもなく、農業オフィサーでもない、中立的な立場の人間として、
      役割を感じられて。

      苦しいことも、自分を犠牲にすることもあったけど、
      私の中では、満足です。


      たくさんの問題が起きたとき、かわしたり、向き合って乗り越えたり。
      これを、一人じゃなくて、みんなと一緒にやってきた。


      だから、私が任地を離れる頃には、

      「これは自分たちの活動」

      「学んだことを、月の最終週で教え合おう」

      こんな声が聞こえるようになって。


      JICAの職員さんが任地を訪ねてくれたときには、

      「各自が小さいFFSを実施して、周りの人に拡げていくの」

      こう、自信を持って、直接説明をしてくれていた。


      お金の負担に関しても、私の方が心配になっていたけれど、

      「負担が多すぎる?」ってJudyがみんなに聞いたとき、

      「普通だ。」
      「農業はなんだってそう。はじめは種や、肥料や、薬や、すごくお金がかかるの。
       そうして、収穫までたどり着いて、ようやくお金が手に入る。
       だから、今お金がかかることは、当たり前のことよ。」
      「勉強しているんだから、お金はかかる。」

      FFSに意義を感じてくれているんだ。そう、思えました。


      役割を持って、グループの管理をしたり、課題を解決していったり、
      農業の知識や技術を、実践的に、回数を重ねて学んでいくなかで、
      彼らの主体性が向上していっていると、思えました。


      理想としては、彼らが学びを近隣農家へ拡げていく段階、
      一通りを学んで、次のFFSを展開していく段階まで、
      フォローができれば良かったと思います。

      ただ、私の2年間の中では、これをスタートさせるまでに、
      1年半が必要でした。それまでの時間や活動がなかったら、これを実現はできなかった。

      だから、後悔はしていません。


      JICAボランティアには後任者を呼ぶ制度があり、私もどうするか配属先と話し合い、
      一応呼んであります。

      が、配属先の要請とボランティアの不一致は繰り返したくないので、
      農業の専門性がある人ということで、確保は難しいかと思います。
      もし後任者が来れることになれば、FFS活動のその後へのフォローも入れてもらう予定です。

      ただ、来なくても大丈夫には、できる限りしてきました。

      あとは、彼らの思いを信じてあげることと、
      ときどき連絡の取れる人に、拍車をかけたいと思います。笑


      いや、信じてるよ。

      文句はたれるけど、本当は責任感の強いみんな。

      誰より人情深い人たち。

      おしゃべりは大好きだけど、手を休めない働き者。

      感謝の気持ちを常に持っている、幸せな人たち。














      本当にどうもありがとう。

      たくさんのたくさんのことを、学ばせてもらいました。


      それから、活動のちょっとおまけ。
      大家さんちの台所に。











      3つ石かまどだったところから、改良かまどを製作しました。

      お隣ケニアでエンザロ村のかまどとして、改良かまどを普及した有名な方がいて、
      そのお話を題材にした絵本があったので、それを参考に作らせてもらいました。

      隣りのおうちの子Jeremiaと一緒につくって、作り方は彼がマスター。
      というか、私は、ここをこうしてああして、という注文をつけて、
      あとは彼が作っていきました。
      そして、Baba(お父さん)と最後に少し修復作業。

      土はどれが良いとか、何と混ぜれば割れない、乾きやすいとか、
      そういうのは、みんなBabaやJeremiaの意見。

      Babaは集落長さんなので、たくさんの人が訪れます。
      そのたびに、説明をしてくれていました。

      お金のある人は、ケロシンやガスのコンロを使っている人もいるけど、
      まだまだほとんどの人は、この3つ石かまどで調理や水浴び用のお湯を沸かしています。
      薪の調達も、最近では苦労していて、お金を払って買ってきています。

      何かを教えに来たわけではなかったけど、
      必要なら彼らが自分で作れるし、広めていける。

      大家さんちに、少しでもお礼になっていればなぁ、と思います。


      それから、同僚にお礼。



      この方は、2年間の始めに、唯一反りが合っていないと思われた、課長。
      だけど、本当は、要請の不一致にもかかわらず、
      私のことを理解してくれて、あたたかく見守って、支え続けてくれた人。Dr.Mbwambo。

      任期終盤には、忙しくてなかなか県庁に顔を出せていなかったとき、
      日曜日なのに、突然の電話。
      「元気か?もう日本へ戻っちゃったのかと思ったよ!
       また様子を聞かせに県庁へ来てね。」

      Judyと最後の最後までぶつかっていて、
      隣りの家なので、家の中で休んでいても、苦しさと戦っていたときでした。

      本当に、私のタンザニア生活。
      タイミング良く、支えてもらってきたな。



      これは、お隣のJudyが、日本食が恋しい!!とのリクエストにより、
      私が最後のお礼用にと、親が持ってきてくれてから1年以上我慢していた、
      カレールーを解禁しまして、チキンカレーライス!!!をご提供しました。

      先ほどの課長と、同じ郡で一番身近に仕事をしていた、同僚の農業オフィサーたちです。
      (Judyは撮影のため写ってませんが。)

      ちなみに、自分たちのFFSで育てていた鶏さんを購入して、有難くいただきました。

      たーっぷり太っていて、お肉たっぷりで、柔らかくって、
      本当においしかったよー!!!

      一番喜んでいたのは、私かもですね。。。。笑


      そして、このお裾分けを、大家さんちや、お隣のおうちのみんなにも。

      最後の方は、もう本当にばったばた。

      みんな用にも作りたかったけど、できなかった。

      これまでの2年間の間に、ときどきだけど、作ってあげれてたから、良かった!!



      金曜日まで活動で、最終引上げが月曜日の朝で、
      日曜日は、お隣のおうちのメンバー、Teacherの結婚式!!!しかもモシの町で!!
      (前に石けんの歌作ってくれた子だよ〜!)

      前日までに、プレゼントを用意してラッピングを自分たちでして、
      当日は、朝から結婚式用に揃えた衣装を着て、みんなで出発!!!
      一日中お祝いをして、夜くったくたで、普段はダメだけど、暗くなってから21時過ぎに帰宅。

      実は、この結婚式の招待状づくりも、私が頼まれて、すっごい嬉しかった!!
      喜んで作りました!サンプルで2パターン作ったら、両方採用!
      教会用とそのほか用で名前が違ったそうで♪

      結婚式に出ることはあっても、結婚式を作っていく側に関われて、嬉しかったー!
      活動終盤で大変だったけど、パーティーの最後には、スペシャルサンクスみたいな感じで、
      Judyと私にサプライズでプレゼントも。ありがとう。


      そして、帰宅後は、半泣きで荷造り。あー、きつい。
      終わらない。眠い。何もできない。寝る。

      終わらないから3時間くらいで起きる。リミットまであと2時間くらい。必死で荷造り。

      やればなんとかなる。終わりが見えてくる。


      大家さんのMamaがチャイ(ジンジャーのお砂糖たっぷりの紅茶)ができたよって、
      声をかけてくれる。


      少し前に、事務所への報告で、思い出に残るエピソードっていうのを書かなきゃいけなくて、
      今となっては、日常過ぎてわからなくて、日記の始めの方を読み返したことがあった。

      そこに、書いてあったこと。

      「体調が復活して、ようやく近所の人たちと関われるようになってきた。

       今日は、大家さんちの台所で、初めてMamaからチャイをもらった。

       おいしくて喜んだら、Mamaは、良かったって。

       チャイを飲んでもらうの、恐くて心配だったって。言ってた。」


      そっか。私たちの関係って、そんなとこから始まったんだって思った。


      そして、何度もご馳走になってきた、Mamaのチャイ。

      最後のチャイが、用意できた。


      私が3つ石かまどの横で座って飲んでいる間、Mamaは肩に手をのせてくれてた。

      おいしかったよ。


      それから、大家さんち。
      収穫前のこの時期、本当にお金が厳しくて、プレゼントの用意ができなかった。

      私は、それで良かったよ。その方が、良かったよ。

      コーヒーの実を干したやつを、本当は炒って粉にして入れてあげたいけど、時間がないって。

      私は、そのままがいいって、それをプレゼントにもらいました。

      飲めない。とっておいてもいいかな。


      大好きなタンザニアの家族。

      ずーっと元気でいてください。

      本当にどうもありがとう。




      首都に上がって1週間ちょっと、
      大使館や省庁へのご挨拶や報告会、後輩たちによる送別会などを経て、
      出国のとき。

      ついにこの人とのバイバイ。Judy。



      他の地域での用事を、このタイミングに合わせてくれて、
      首都の空港にお姉さんと見送りに来てくれた。

      前々日に、お姉さんちに遊びに行って、手作りアルバムをプレゼント。

      後輩が送別会用に作ってくれたムービーには、Judyからのメッセージ。
      寄せ書きにも、メッセージをもらってくれてた。


      本当に、何から何まで、一緒にいたね。

      何をするにも、どこに行くにも、一緒にいたね。

      何だって話して、何だって言い合って、ぶつかり合ったし、助け合ったね。


      必ず、また会おうね。元気でね。ありがとう。



      気が付くと、飛行機は離陸していて、

      ホコリのない、水が装飾用で使われているドバイ空港に降り立ち、
      アジア人が増え、周りから日本語が聞こえてくるようになり、違和感を覚え、

      イスに座っている間に、時刻が変わり、寝て起きたのに夕方の、
      そう、自分の生まれ育った、
      家族もお友達も大切な人たちがたくさんいる、この日本に、
      着いた。帰って来た。




      2011年6月27日に、日本を発ち、
      2013年6月26日に、日本に帰ってきた。

      2年間。

      無事に帰って来たよ。

      私、とても元気です。

      元気、そうでしょ?!笑



      いろんなことがあったけど、

      本当に苦しい思いもしたけれど、

      みんなの優しさを知って、

      私は少しだけ、強くなれました。



      生まれてから今まで、そしてこの2年間、

      叱ったり、笑ったり、愛してくれて、支えてくれて、

      本当にどうもありがとう。




      これからのことは、今まだ決まっていません。

      それは、不安でもある。


      ただ、言えることは、

      本気で生きていきたい。


      それだけです。


      もちろん、ぐーたらもしたいし、くだらない話もしたいし、
      鼻歌だって歌います。


      だけど、これまで支えてきてくれた人、これまで出会ってきた人に、
      少しでも恩返しができればいいな。

      だから、本気でね。


      本当にどうもありがとうございました。

      そして、

      どうぞこれからもよろしくお願いします。


      p.s.

      このブログを開設したときは、知らなかった。

      こんなにこんなに、FURAHA LIFE になるなんて。

      幸せな2年間でした。



      祥希

      | - | 02:19 | comments(2) | trackbacks(0) | - | - | ↑TOP
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        TUKO KAMPAN

        一か月後は、飛行機の中だ。

        「いつ戻って来るの?」

        私が知りたい。まだわからない。
        私まーあ稼いできている人ではないから、そう簡単には戻って来れない。

        仕事して、お金貯めて、長めの休みをゲットして、何年後かには。
        とかって思うけど。不確定要素がたくさんです。


        きっと期限があるからやってこれた。
        それは事実だと思う。

        だけど?


        最近の私は、先日久しぶりに日本人で集まったら、
        きのこの「いしづき」という言葉が出てこない。
        「やつぎばや」が出てこない。
        「最年少」を「最少年」と言ってしまう。しかも指摘されるまで気づかない。


        日本の某企業が任地に来ていたときに、少し同行させてもらったときは、

        私「おなかすいたね。(だってお昼時間過ぎまくってるじゃんねぇ)」
        セ「タンザニア人だね。日本人は食事より仕事が一番優先だよ。」

        セ「どうして同行してるの?何の用事があるの?」
        私「なんも用事はないよ。日本人が来ているから、ただ一緒にお付き合いしているだけ。」
          
        セ「もう僕よりタンザニア人だね。」

        セ=8年日本に住んでいるタンザニア人のセバスチャン。


        ちょっと伝わりづらいかと思うので補足説明?すると、
        前書いたことあったかな、
        こちらではある人の用事も、なぜかみんなで付いていく。みんなで行く。

        初め、市場で買い物するとか、まあもちろん私が外国人で慣れていないから、
        親切心で連れて行ってくれていっている部分もあったんだけど、

        そしてすごく申し訳なく思ってた。もう、大丈夫だよ!たぶん自分で行けるよ!
        という風に思ってた。そう伝えてもいた。


        だけど、まーあどういうわけか、こっちではみんなで行くのが当たり前。


        村のオフィスで3人でお仕事。1人が群のオフィスにも用事がある。
        家を通り越して反対側だけど、なぜか3人みんなで行く。
        2人は特に用事はない。ただ一緒に行くだけ。待つだけ。おしゃべりするだけ。

        町へ用事をしに。
        私はあっちでこれを買う用がある。Judyはこっちでこの用。じゃあまたここで合流。
        ではなくて、Judyの用事の間は私は横で待ち、Judyも私の用事まで付いてくる。
        もう私は一人で一応できるのですが。

        市場の中で、あとは何買うの? いちいちすべて終わるまですべて付き添う。

        簡単に言うとこんな感じでしょうか。これがいたるところでこういう感じです。



        あと、ちょっとずれるかもしれないけど、

        誰か一緒にいる人の荷物が大きかったり重かったりしたら、
        その人とどういう関係であろうと、何の気兼ねもなく持ってあげる。一緒に持つ。

        バイクに泥が付きまくって動かなくなったら、
        別の誰かがpanga(なた?)をどこからか持ってきてくれて、
        その辺の小学生がバケツで水を汲んできてくれて、
        そのドライバーではない彼らが、バイクに関係のない彼らが、
        汚れることなんて全く気にしている様子もなく、
        まったく面倒くさそうに迷惑そうにしている様子もなく、
        タイヤを回しながら水を注ぎながら泥をはぐように綺麗にするという作業を、
        なんの違和感も持たずに、一緒にやる。


        というわけで私も、
        用事がなくても別に付いていくし、
        そこに何か人手が必要になっていれば、なんの違和感もなくする。

        たまたまお店に着いたときに、お店と言っても近所の商店と言えば良いかな。
        業者が来て商品を置いていったとこだったら、
        その大きな段ボールを中に運ぶのを手伝う。
        外に置いてあったミシン(こっちでは道端で裁縫をする職人?裁縫士?がよくいるので。もちろん足でばったんばったんするやつ。)をしまうところだったら、もう片側を持って一緒にしまう。
        私、客だけどね。


        ちなみに、どこだろうが、誰の店のイスだろうが、
        イスがあれば、すぐに座る。座れるところがあれば、すぐに座る。これもタンザニア。

        どういうわけか、疲れちゃってるのよね。赤道で日差しが強いから?標高高いから?わからん。



        あるとき、日本人と話していて、気づかされた。

        日本人は、自分のことは自分でやらなきゃ、という考え方をするよね。
        人に手伝ってもらうことに、迷惑をかけてしまっている、申し訳ない、という気持ちを持つ。

        だからか、人に手を差し伸べることに、恥ずかしさも感じたり。

        そして自分には関係のない用事に付き合うことになると、迷惑に面倒に感じたり。

        あと、たぶん、時間だろうな。まあ労力もかな。
        効率的に、用事を済ませようとする。

        こっちの人たちは、もちろんそれなりに、
        ちょっと遠くに行く人に、少しだけ用事を頼んだり、
        ちょっと遠くでの用事は、なるべくまとめてするようにしたり、それくらいはするんだけど、
        まあ、あんまり、徹底してそうしようとは、してない。



        私も、初めのころはこのなんでも一緒にいることに、窮屈さを感じてた。
        用事終わってるのに。家に帰ればすぐ他にやることできるのに。と思ってた。


        それが、気づいたときには、なんの違和感もなくなっていて。


        終わりが近づいた今は、それが、この上なく愛おしい。


        誰かに会えたら、一緒に過ごす。
        だから、誰かに会えると、嬉しい。


        一緒に過ごす。
        =お店のおやつを少しもらう。洋服や髪形を褒め合う。
         最近の何でもない出来事をなぜか面白おかしい話のように話す。
         チャイ(毎朝作るあまーいジンジャーミルクティ。)をいただく。
         ときどき真面目な話もしたりする。(お仕事の話とかお金の話とか勉強の話とか。)



        私はここの生活が大好きです。



        悲しいことも、傷つきまくることも、怒りまくることも、あきれ返ることも、
        あれ、すごいあったんだけどな。
        あれー?。



        実感がわいたと思った時があったんだけど、あー、まだ信じられない。



        もし、日本人は、っていうところに、嫌な気持ちを持った人がいたらごめんなさい。

        一般的に、平均的に、こちらと比べたら、ということです。

        そして、良し悪しでは言えない部分があると思う。


        道で物乞いしている人に、お金がある人がお金を渡せば、それで良いのか?



        だけど、ただ一つ、良かったと思うことは、

        こういうような、人としてのあり方というか、生き方そのものというか、
        そういう内容を、語り合えるような、関係を、
        ここタンザニアで、持てたこと。



        まあ、こっちってすぐに仲良くなっちゃうから、
        というか初めから人と人の間に垣根がないから、
        ある意味でそれは簡単っちゃ簡単なのかもしれないけど、
        でもそれとはちょっと違って。

        ゆっくり、腰を据えて、考えて、本音で、こういう話ができる関係。


        とても嬉しいことです。


        日本でやりたいこと、食べたいもの、行きたいとこ、挙げたら本当にきりがないんだけど。

        どうしたら帰国を信じられるんだろう。


        そんな、帰国1カ月前の、気持ち。



        saki

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          NIPATE TABASAMU

          ご無沙汰していましたが、元気です。
          写真たっくさーんでいきます。

          1月25日、Bryton生誕一周年



          よく面倒みているKaka Rubeniと。(Rubeniお兄ちゃん、いとこ。)



          っとっとっと、



          歩いた〜!!



          そこ、Maharage(お豆)。



          Bryton、 この間、肺炎?気管支炎?みたいな症状で、本当に具合悪そうにしていて。
          そのあと、入院しました。2日間だけ。

          寂しかったし、とても心配した。
          退院後しばらくして、また笑顔が見られるようになって、ほっとした。

          3月16日、Johansiも1歳になりました。
          本当は今日(イースター祝日)お祝いの予定だったんだけど、諸事情で延期。

          Johansi最近写真撮ってないな。今気づいた。いつもいてくれてるから、つい。



          少し遡っちゃったけど、載せとこ。また撮る。笑った超可愛い顔撮ろう。

          このbabyたちに、どれだけ癒されていることか。

          家をしばらく離れても、戻ってくると、もうちゃんと覚えててくれてる。

          帰って来たときに、ゲートからのぞいて声あげて呼んでくれて。

          いつもありがとう。これからも元気に育ちますように。




          さて、活動の報告。まずは少しだけ。









          前にものづくり講座に参加してくれた、隣の郡の保健オフィサーが、
          彼女の所属するママグループに、ものづくりを教えてくれました。

          石けんはすでに習ったことがあるそうで、蜜蝋キャンドルとドライベジタブル。

          私の中では、彼ら自身が教えていってくれる、この部分が目的。
          彼女の方から連絡をくれて、彼女自身が準備と実施をしてくれました。

          残りの期間で、ものづくりの活動に関して、きちんとフォローアップを入れたいと思います。


          そして、関係ないけどいくつか。



          私の大好きなNdama(子どもの牛)



          とまたまた大好きなN'gombe(牛さん)、この子はママ牛。ついに今月出産予定。



          近所のおうちで、ウガリ(とうもろこし粉をゆでてこねた代表的な主食)のこね方を指導される。

          そしてようやく



          バレンタインデーの頃、



          お帰りJudy!!

          日本からの帰国日の頃、親族のご不幸があったりして、
          結局2週間くらいしてようやく、サンヤジュウのうちまで帰ってこれた。

          日本では、JICAのスタッフや研修先である地方役所の職員の方々、
          地域の方や、電気屋さんや飲食店の人たちなどなど、
          うちの家族や、同じく休日に案内してくれた先輩隊員親子に加えて、
          たくさんの日本人にお世話になったようです。

          タンザニアとは本当に比べられない過密スケジュールと、
          気候も言語も文化も食事も異なる慣れない環境で、体も壊したみたいでしたが、
          それでも研修仲間や日本人に支えられて、無事最後まで頑張って、帰ってこれました。

          勉強は大変だったけど、日本をとーってもEnjoyしてくれたとのことです!!!

          アフリカ各国の研修仲間や、あたたかい日本人との出会いが、
          Judyにとって、とても新しい環境でした。

          地方行政の業務についてだけでなく、
          時間管理や、ホスピタリティ溢れるサービスといった、日本の文化慣習も学んで来てくれました。

          百聞は一見に如かずとは、よく言ったものです。

          やはりかなり若い参加者になったようですが、本当に参加できて良かった。

          ご協力いただいた多くの皆さま、ありがとうございました。

          Judy、研修おつかれさま。
          そして、タンザニアの発展のために、学んできたこと、発信、実践、していこうね。



          おまけ



          Judyからの日本土産。
          このおせんべいの涙が出るほど上品でおいしかったこと。
          私せんべいが好きすぎる。おいしすぎる。
          Judyありがと〜!!


          さて、活動の報告、の続きにいきます。



          始めました。畑教室。

          白い帽子が、農業オフィサーです。これは作付の間隔を説明しているところ。



          私も一緒に測ってみたり。



          コーヒーの木!!



          と、バナナの木!!の混作です。



          せっせと穴掘り。



          休んでおしゃべり。



          指導された大きさになっているか、農民自身がチェック。



          村オフィスでの話し合い。



          農業オフィサーたちによる講義の準備。



          村オフィスで講義の実施。



          メモをとる農民たち。



          農民自身が、自分たちで、グループの管理を行う。



          もうすぐ完成の鶏小屋。(写ってないけど、隣には飼料倉庫。)まもなく雛がやってくる。


          この畑教室(Shamba darasa)。
          Field Farmers School(FFS)として、様々な国で行われている、
          農業(畜産業)の技術・知識の普及方法です。

          優良農民が、オフィサー等により地域の畑で実践的に農業を学び、
          その後農民自身が近隣農民へ学びを拡大していく、参加学習的アプローチです。

          前回のブログで、JICAの専門家の方に活動のことを相談させていただいたと書きましたが、
          このFFSは、その際にアドバイスしていただいた内容です。


          相談のとき自分が基盤としていたものは、自分が勉強してきて、活動の軸としていたもの。

          そして、当時活動について本当に悩んでいて、
          赴任当初以来ご無沙汰していた、大学時代の恩師からも指導を仰ぎ、
          ここでの私の立場とアプローチ方法、そして活動の終着点がどうあるべきか、
          本当に心強い、的確な、ご意見をいただきました。

          その意見をベースとして、自分のこれまでの任地での状況を踏まえて、
          専門家の方からいただいた、FFSという方法。


          Judyに改めて現状を確認すると、実現可能性、効果、持続性に問題がなく、そして、
          私の同僚である、農業オフィサーたちが行うことで、現状を改善できることが判明。(※)

          (※外部の調査機関によるFFSは存在していたが、遠方であることから対象農民との関係性が希薄で、農民が参加できなかったり、適切な評価が行えないという問題が起きていた。
          村に住み、村民と関係ができている農業オフィサーがFFSを開催することで、この問題を解決しながら、農民が農業を学ぶことができる。)

          FFSであれば、私の重要視している、農民自身のエンパワーメントも、
          重要な目的の一つとして達成されていく。


          よし!!!これ、やろう!!!(^O^)

          そうJudyと話してから、猛スピードで、準備に奮闘。
          奮闘、だったと思う!!


          経過としては、
          ・Judyの上司にあたる郡の農業オフィサー(Dr.Naburi)に相談。
          ・対象村の代表者会議で提案。
          ・村の全体集会で村の人たちに提案。→承認。
          ・予算の概算作成。(農業オフィサーによる。)

          実は、今回のFFSの活動。
          配属先(農業畜産課)の会議でも、農業オフィサーたちがFFSを実践したいが、
          予算がないという問題が挙がっていました。

          そのため、始動時の資金として、私の立場を利用して、JICAに業務支援費を申請。

          もちろん、配属先も、そして何より村民自身も、負担をしています。

          農業畜産課→講義時の文房具、講師費用(農業オフィサー人件費)
          村民自身→穴掘り等の労働力、農機具、各自の筆記具、農業畜産資機材の一部

          支援費のみに頼らず、農業畜産課も、村民自身も、負担をすることが重要だということは、
          農業畜産課のオフィサーも言ってくれました。

          そして、その現地の人々の主体性と、活動の持続性が認められて、
          無事支援費の申請が承認されました。

          こうやって、内容を細かく書かさせてもらっているのは、
          私の中で、これがJICAからの予算、
          つまり日本の税金を使わせてもらっているという意識があるからです。

          日本の助けを借りている分、責任感が増します。
          一所懸命やります。

          予算が確保できたのち、

          ・村の全体集会、または集落毎の全体集会で、FFS活動メンバーの呼びかけ。
          ・定期的に集まり、組織化。(役員、グループ規約、活動内容、スケジュール等の策定。)

          ・FFS始動時の講義の実施。(FFSとは何か。)
          ・FFSで学ぶ農業(畜産業)の内容の一連を、まずは講義で実施。

          2つの村で、始動することになりました。
          1つは、コーヒーとバナナの混作。もう1つは、養鶏です。

          対象2村の担当である農業オフィサーと、同郡の別村の農業オフィサーの、計3名が、
          協力し合って、Facilitator(見守り型進行役)として、進めていってくれています。
          そして、上司にあたる郡の農業オフィサーも、協力的です。
          (Dr.Naburiが定年退職して今は別のオフィサーですが、2人とも協力してくれています。)

          グループ名は、村全体の事業であることを意味する、ONAKI Group
          (各集落名Omaro,Nakayale,Kikweの頭文字を取ったもの。)

          もう1つのグループは、この地域で話されている、チャガ族のチャガ語でありがとうの意味、
          AIKA Group。("JICA"の音とも、かけてあるそう。)


          農業は、季節にも依存するし、時間もかかるので、
          全てを理想的な形で進められている訳ではありません。

          だけど、現地の人が、学び、そして自分自身で実践し、それを拡めていく。

          この形が残るように、この意味をわかってもらえるように、
          なんとか、頑張っていきます。





          この連休中、1日だけ手伝わせてもらった、大家さんちのとうもろこし畑の雑草刈り。



          連休で学校寮から帰ってきていたFadhili。みんなのお兄ちゃん。本当に優しい。



          Baba(お父さん)が、ソーダとハーフケーキという名の揚げドーナツ?を買ってきてくれた!!!



          体動かしたあとのご褒美ってなんておいしいんだ〜!!



          おかげでその後、近いようで遠い畑の端から端まで、私は2列だけだけど、
          (Fadhiliが手伝いまくってくれて実質1列半。)無事終えることができました。





          先日、ついに先輩たちが全員帰国。
          教員で参加していた同期のメンバーも、4月始まりの年度に合わせ、任期を満了して帰国。

          次に帰国するのは、自分。


          少し前に手元に届いた帰国案内。

          受け取ったときは、とってもにやけてしまいました。嬉しすぎて。

          あのときは、本当にすごく嬉しかった。

          ただただ嬉しかった。


          だけど、帰国の実感が湧かないまま迎えた、新年度。

          今日、4月1日。


          朝起きたとき、なんだか無性に、初めて、寂しさを覚えた。

          ここを去る日が来ることを、初めて心から意識した。


          これまでは、頭ではもちろんわかっていたし、
          会話のやり取りで表面的に帰国の話をしたりはしたけど、
          ある意味、気持ちをコントロールしてた。

          帰れるときのことを考えて、なかなか帰れないのがつらいから。


          だけど、今朝の感情は違った。自分で驚いた。

          実は今も、結構苦しんでいる悩んでいることがあって、
          最後まで山あり谷ありだなんて、もうーーーー。っと思ってしまいます。

          数日間、心から笑えてないことも、未だにあるし、今もそれが解消されたわけではなくて。


          それでも、寂しく思った。から、びっくりした。

          今はまた、頭が冷静ぶって、寂しくはないのだけど。


          最後の最後まで、やるべきこと、やれることは、いっぱいです。


          先輩たちや、任期を全うした同期のように、笑顔で帰国の日を迎えられるように。


          あと3カ月だ。



          saki

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            NIMEJITAMBUA

            ちょっと落ち着いたので、しばらく分の報告です。
            写真いっぱいアップできた。いえい。


            うちの村で、選挙がありました。村長選挙です。
            予算が下りたらしく、
            県内のいくつかの場所で統一して小規模選挙(村長や集落長など)が行われました。

            うちの村は分割してできた新しい村の上、前の村長が辞めてしまっていたので、
            私がきてからずっと代理村長で、実質村長不在でした。

            ちなみに日本の衆院選挙とかなり同時期でした。

            選挙のキャンペーン(選挙運動)



            タンザニアでは、小さな政党もいくつかありますが、基本は二大政党。
            うちの村の村長選挙も、その二大政党から一人ずつ候補者が出ました。

            政党には、その政党の歌があります。ちなみにのれる曲です。
            それを後ろの選挙カー、というのですかね、で流します。
            上にでっかくスピーカーが詰まれて綱でぐるんと巻かれてます。

            これが村をぐるぐる道路や畑の間やいろいろ回って、
            そうすると人が集まって来ます。

            のれる音楽なので、みんなこのキャンペーンが大好きです。

            「ピープルズ、パワー!!」

            とみんなでこぶしを挙げるの図です。

            進行役も、タンザニアではお馴染みなのですが、イベントや結婚式で行われているのと一緒で、
            クラブDJ同然。(クラブって行ったことないけども。)テンポ抜群です。



            演説中。

            子どもたちも、音楽が流れていれば音楽にのって踊り、
            「ピープルズ、パワー!!」では一緒にこぶしを挙げ、
            演説中は、その辺を走り回っています。

            同じ高さにいて、話を聞くのは良いものです。

            候補者の人は、この村に何年も住んでます。

            村のことも知っているし、何より、村の人たちが候補者の人のことを良く知ってる。

            選挙はこうであるべき、と思った。

            選挙の日



            一週間の選挙権の登録作業、その後の一週間の選挙キャンペーン、そして投票日。
            (もっと大きな行政区の選挙だと登録はいりません。)

            私は直接業務に関わっていないので正確にはわからないのですが、
            登録に来たのは、18歳以上の選挙権を持つ村民のうち、7割程度。
            そのうち、投票日に投票に来た人たちが、その8割程度かな。

            結果は、128票 対 132票。

            いやぁ、僅差すぎて、本当に驚いた。

            村レベルやその上の郡レベルで見ると、政党のバランスが半々くらいになったので、悪くないかと。

            ここに選挙権のない私は、1票の重みをとても感じました。

            そして、自分の準備不足で、国政選挙には在外でも投票できる制度が整っていたのに、
            投票をし損ねる形になってしまった自分に、反省しました。

            新しい村長、実はもう一人の候補者の方が私は以前から関わりがあったので、
            受け入れてもらえるかちょっと心配だったのですが、
            自分から自分のことを説明させてもらったら、本当に快く受け入れてくれました。
            その日のうちに、その場で、歩いてすぐの自宅と畑を案内してくれました。

            そして、とてもリーダーシップがあって、自分にも周りにも厳しい人で、
            村民のみんなも、そのリーダーシップに驚きながらも楽しんでついていっています。

            やっぱり、今まで村長が不在だったんだ。と、今になってよくわかります。
            これから、この村で進めていくことが、とても楽しみです。



            続きまして、ご縁があって行けることになった、
            興味もあって勉強もしたかった内容の、JICAの行っているプロジェクト視察。

            任地からはバス移動2日間、うち1日は未舗装で、バスから一度降りて川も渡りました。



            未舗装をぐんぐんいくと、だいぶ景色の良いとこまで来ました。



            その中心地を拠点に、そこからさらに1時間程度の村で視察しました。



            内容は、村での開発事業策定。



            村の人が主体となって、既存の資源に目を向けて、自分たちの力で事業を計画し実行していく。
            オフィサーたちがファシリテーターとなって、それをサポートする。

            自分が勉強してきて、目指してきていたものを、初めて目の当たりにしました。

            本当にこんなことできるんだ。すごい。

            感動しました。

            現地では丸3日間、たっぷりと視察させてもらいました。

            議論の内容、ファシリテーターの役割、プロジェクト全体の経過。

            これでもかというくらいに、勉強させてもらいました。痛いほど。

            専門家の方から、たくさんお話も聞かせてもらいました。

            そして自分の活動の相談もしました。

            自分ががむしゃらに目指していたものを、地に足を着けた形に、整理することができました。



            そして、帰省シーズン。
            親元のもとへ多くの人が帰っていきます。クリスマスは家族で過ごすもの。

            私の帰省先は、ここ。



            隣りの大家さんち。

            クリスマスは祝日。朝は、ミサのために、聖歌隊メンバーのMamaと一緒に正装して教会へ。
            Judyがイスラムなので普段少し遠慮しているんだけど、帰省中だったので初めて参加してみた。

            そして家に帰って来たら、着替えて、お肉屋さんにお肉を買いに行って、
            この日はみんな買いに来てて、ブッチャーの前に人があふれててびっくりした。

            そしてお料理開始。みんなで作って、持ち寄って、一緒に食べた。



            ベイビーたち用に急に頼まれて超手抜き即席帽子も作ってみた。



            音楽を流して、みんなで踊って。
            ケーキの一切れずつ交換をみんなでして。

            日本の方には情報足らずで申し訳ないのですが、お祝い事はいつもこう。

            すっかり、いつものこと、になった。

            ちなみに、クリスマスツリー



            撮影遅くなり、お花がちょっとしぼんじゃったけど、
            そこら辺の緑を取って来て、家に飾っていました。ご近所もそうでした。

            電飾もオーナメントもないけど、なんだかとても良かった。



            大晦日も、こちらは平日。この日は3カ月に1度の村の全体集会だった。
            新しい村長での初めての全体集会。

            Judy不在だったので、私も一生懸命しゃべったし、そして聞きました。
            その後は配属先とも活動の話をしました。

            いろいろあって、もう全力でした。
            頭も心も体も。
            そしてそれを、同僚や村の人たちが癒してくれました。

            私としては、とても幸せな、一年の締めくくりでした。



            そうして、年越し。

            今日はみんなで遅くまで起きてて、新年に入ってお祝いしてから寝るんだよ〜。
            でも眠いね。一度寝てから、また起きて年越ししましょう。

            22時頃にそうMamaと話して、私もいつも通りもう眠かったので、一旦ベッドへ。

            ん、なんか賑やかな音がする…

            あれ??

            あら、0:07。

            ちゃちゃちゃ。あれれ。おお〜新年明けてる〜!!

            目覚ましかけたんだけどな。おっかしいな。

            そんな訳で、教会にいた人たちが新年に入ってみんな出てきて、
            歌ったり、音楽流したり、踊ったり、ご近所さんを挨拶周りしたり。

            私もドアを開けたら、お隣さんとご挨拶。
            Mamaは、隣のMamaと一緒に、ンゴマ(太鼓)しながらやってきた。

            バケツを持って、底を木の枝で叩いてお祝い。

            この音で起きたんだ。。^^;

            ご挨拶をしてから、またベッドへ戻る。外ではまだ賑やかがしばらく続いてた。

            いつもは21時くらいにはみんな寝てるのにすごい。



            元旦

            初日の出。と思っていたけれど、気づいたら7時過ぎ。

            それでも山が少し出ていたので、顔だけ洗って、初散歩。

            太陽の光を浴びるのは、本当に気持ちいい。

            小学校前の広場まで行って、太陽に初詣して、家に戻りました。


            そして、お雑煮。



            私お雑煮が大好きなのです。お餅大好きだからということもあるでしょうが。

            元旦は祝日で、朝にはお雑煮作って自分で食べました。
            と言っても、鶏肉入れたーいと思いましたが、一羽絞めてさばくところからではとてもエネルギーいるので、
            干しシイタケのだしでなんとか。あっさりもおいしいね。

            そして、昼過ぎには、大家さんちが元旦だからみんなでご飯食べようって言ってくれて、
            餅を小っちゃくしてから、お裾分け。

            子どもも多かったから、小さくはしたけど、餅を食べる時の注意を超熱心に伝えた。
            そこまでして、餅を入れたのでした。

            そしてその日は、それまで全然手をつけられなかったので、
            歳末ならぬ、年始めの大掃除!!

            近々同期が来てくれることもわかっていたし、ちょうど良かった。
            大掃除と言っても、普段の掃除と割と一緒なのだけど。

            ちなみに去年、少し前に、モップをゲットしました。
            家が大きすぎて、雑巾がけが半端なくきつかったのです。

            これでお掃除がひょいひょいとスムーズになりました。
            すっきりすっきり。

            午後には、ご近所や親戚に挨拶に行くということでMamaに一緒に来るように言われて、
            掃除ひと段落してからと思って一旦申し訳ないながらも断ったんだけど、
            残念そうにしたので、途中だったけど、行くことにしました。

            Mamaもその頃体調崩していたので、親戚のとこは少し遠いから、ご近所だけ。
            聖歌隊も一緒の仲良しのMamaのところでした。
            顔は知ってたけど、おうちは初めてでした。
            Mamaは、そのMamaのことをいろいろ教えてくれて、
            食べたばかりだったけど食事を出してくれて、3人でまたいろいろお話しました。
            女手一つで子ども3人を勉強させてる、パワフルなMamaでした。

            新年を無事迎えられたことの喜びを、みんなで分かち合って。

            なかなか年の瀬や正月らしさを感じることのないタンザニアだったけど、
            これできちんと、気持ちも新年を迎えられました。



            さて、祝日は元旦のみで、2日からは日常がスタート。

            活動準備




            同期のあずが来てくれていたので、写真撮ってくれた。

            日常と言っても、オフィスじゃなくて、Dr.Naburiの家だけど。

            電話が鳴ると仕事が進まないから切っていたということで、つながらなくて家に来た。

            そしたら、今準備しているものを、ちゃんとやってくれていた。

            いつも、来る来ると言って、これでもかと待たされてるDr.Naburiなんだけど、
            ぎりぎりのところで、きちんと応えてくれる。

            そして、いつも通り本当ぎりぎりのところで間に合わせてくれて、準備完了。私は首都へ。


            久々のJudyとの再会。



            ここはJICA事務所。何をしているかというと、



            ん?



            ひょーん!!!

            日本。

            Judyが日本に行きました。着きました。
            事務所の様子は、この研修のブリーフィング。

            研修への準備も、まーあいろいろあって、
            Judyも私もJudyの家族も関係者も、いやあ、頑張ったと思う。

            無事に行けることになって、そして到着して、本当に良かった。

            3週間、アフリカ各国の仲間と地方行政について学んでいます。

            そんな訳で、












            Judy!!

            頑張れ〜!!



            初めての週末は、私の家族がJudyに日本を案内してくれました。
            博物館や、アメ横や浅草や、スカイツリーや、着物やいろいろ。

            私より先に、姪っ子にも会いました。なんと不思議なことです。

            研修参加者の中でも、たぶん若い方で、
            隣国へも行ったことがなくて、パスポートの取得から始まったJudy。

            初めての飛行機、しかも3日間の移動。

            顔をこわばらせてたのも、無理ないね。

            Judyのお姉さんは、旦那さんがケニア人でナイロビと行き来することも多いので、
            国際線飛行機のこと、いろいろ説明してくれた。

            空港でお見送りしてからも、頻繁に電話をして、あれは済んだか、こうするのよ、って。

            お見送り後のタクシーでは、Judyの妹が静かに泣いてた。

            みんな心配しているし、寂しがっているし、だけど、すごく協力して、応援してくれている。

            研修の仲間もいるしね。タンザニアからは、私の同期の同僚など、3人で参加しています。

            初めての外国で、びっちりの日本のスケジュールで、大変だと思う。

            でも、きっとJudyなら大丈夫。

            みんなで待ってるからね!!しっかり勉強してきてね。そして無事に帰ってきてね。



            私は、Judyの不在の間、いつもとは違う環境だけれど、自分なりに頑張っています。

            と同時に、フィールド違いだった自分の意見を聞いてくれて、一緒に活動してくれて、
            いつもどれだけJudyに助けられているか、気づかされているところです。

            それでも、本当はJudyと一緒に帰省しようとしていた年末年始、
            休暇申請していたものの、活動準備の関係で、休暇を返上して任地に残った。

            これ、説明不足で伝わらないとは思うのですが、
            自分としては、すごく覚悟を決めた決断だった。

            その覚悟は、自分の努力と、周りの協力を運んできてくれて、
            首都でJudyと最終確認をしてから、
            見送った後、無事報われた。

            といっても、これは、残り半年の任期内の活動、
            そしてその後に何年も続いていく、この村の活動の、準備が整ったということ。

            隣りの村も一緒にやるので、そちらを開始しつつ、
            Judyの戻りに合わせて、ここの村で、開始します。


            身の丈を知ることは、挫折や諦めじゃなくて、
            目標を定めてそのための一歩を踏み出すのに、大切なことだった。

            自分の無力や無知、時間や、いろんな制限に気づくことは、
            苦しいし辛いことだったけど、必要なことだった。


            準備が整ったとはいえ、自分のやりたいこと、
            気をつけなければいけないこと、任期終了時に残したい環境を、
            実現していくためには、いやぁ、とてもとても大変です。

            だけど、今は、1年半前の私とは違うので。

            あとは自分と闘っていくだけかな。



            2013年は、6月末に日本へ帰国します。

            どうぞよろしくお願いします。



            saki

            | - | 05:21 | comments(6) | trackbacks(0) | - | - | ↑TOP
            0
              MMOJA MMOJA

              元気です。


              26歳

              これまでも挑戦したりいろいろな経験をさせてもらってきたけど、
              間違いなく、今までで一番苦しんだ一年だった。

              ストレスに感じることがあっても、
              何が正しいのかわからず、
              その思いを共有できる人を見つけるのも難しく、
              ただただ一人で、葛藤したこともあった。

              自分の居場所が、
              自分の意味が、
              まるでないようで、
              こんなにはっきりと傷つけられて、
              でもそれが事実で、
              自分に対して怒りの感情を持つしかなかったときもあった。

              自分で力を出さない限り、
              自分で意思を持たない限り、
              それを示さない限り、
              そして行動を起こさない限り、
              こんなにも何もできない日々は初めてだった。

              だけど、そんな環境だったからこそ、
              26歳の私は、
              今までで一番苦しむことができて、
              26歳を終えるときに、
              初めてかもしれない、自分を認めてあげることができた。


              そして、26歳を終える頃に、夕方走っていて、

              「お金ちょうだい!」

              って言ってきた男の子がいて、まあ挨拶のようなもんだから、

              「ない!」(本当になかったけど。)

              って言って走り続けていて、

              気付いたらその子と並走になった。

              私はまじでぜいぜいしていて、
              ペースも落としたかったしなんなら歩いちゃいたかった。

              だけど、その子が私の少し前をぐんぐん、
              前へ前へと走っていく。

              根性なしと思われたくなくて、頑張ってついてく。


              そのとき

              「雨ニモマケズ」 宮沢賢治


              山を見ながら、この子のあとについて、
              必死で走っていたとき、ふとこの詩が思い浮かんだ。


              小学2年生のとき、担任のうっしーがたくさんの詩を教えてくれた。
              その中でも、この詩だけは、
              暗唱できるように、宿題になってた。
              何度も読んで、何度も声に出して。

              そのあとも、何かの拍子に思い出したことはあった。
              それで、忘れていたこともなかった。

              でも、それは外から何かきっかけがあって、思い出してた。


              このときは、違った。

              まだまだ、知らないことはたくさんあるし、
              勉強も考えも全然足りていないし、
              経験も感情も、まだ少しだけ。


              だけど、この詩の意味が、
              初めて自分で、
              少しだけわかったような気がしました。


              覚えようと声に出して何度も読んでいた当時の私は、
              意味なんてまるっきりわかっていなかったけど。

              ようやく少し。


              これで27歳に突入できるなぁって。


              まだまだ未熟だけど、
              この詩の意味が本当にわかるような大人に、
              近づいていきたいです。


              そして、それには、
              一人じゃなれないなぁと。


              きっと刺激し合って、支え合って、いくんだろうな。

              周りの人たちを大切に。

              簡単じゃないけど、そうしていこう。


              Na niongeze kitu kimoja.

              Nimewahi kusikia mara kwa mara.

              Wengine wanasema mara kwa mara.

              Lakini nilikuwa sijawahi kuona mwenyewe,

              mpaka siku yangu ya kuzaliwa

              niliyofikia umri wa ishirini na saba.

              Ninawashukuru wazazi wangu kwa kunizaa duniani.

              Nikirudi Japani, nitawaambia moja kwa moja.



              26歳が、

              今までで一番苦しんだのも事実だけど、

              今までで一番気持ちよく生きれたのも事実。

              自分の気持ちに正面から向き合って生きることが、

              こんなに気持ち良いなんて知らなかった。


              幸せなことです。

              本当に本当にありがとう。



              そして


              27歳




              あ、これ出遅れたやつだった。よいしょ!




              もりこが突撃でお祝いに来てくれた。




              嬉しい嬉しい。


              日本からも、お手紙が届きました。

              たくさんのメッセージが詰まっていました。

              頑張るね。いつもありがとう。



              最近は、いろいろなことを考えています。


              今をどう生きるかって、

              もちろん目の前のことも大事だけど、

              やっぱり先のことを考えてから、動ける。


              なんというか、私は昔から、

              目標がはっきりしていないと、なかなか頑張れない人で。


              ここのところ、ようやく任地で落ち着くことができて、

              少しずつ手応えが感じ始められているようなところです。


              残りの期間で、

              何を目指すのか。どう動くのか。何ができるのか。何をするのか。

              自分の強み。


              そして

              自分の今後。



              今はまだ整理ができていなくて、

              結構もやもやというか、パンクしそうになるというか、

              でも、一つ一つ、描き出して、組み立てる。


              一歩ずつ進んでいくしかないから。






              そうしたらきっと、





              いつか、

              こうやって、

              いろんなことが見えるところに、

              辿り着けるはず。




              楽しいのは、

              その、

              一歩一歩だったりして。



              saki

              | - | 23:29 | comments(5) | trackbacks(0) | - | - | ↑TOP
              0
                KAWAIDA AMA
                毎度ご無沙汰ですが、元気です。

                あれから、家族が来たり、
                nanenane=農業祭(8/8の祝日、スワヒリ語で8=nane)に同僚と行ったり、
                Judyが年1回の1カ月休暇を取ったり、
                その間に別の地域に行ってみて、隊員の活動見学や一緒に活動をしたり。

                そして今日Judyが戻って来ましたが、
                事情により、まだ私はイレギュラーな日々がもう少し続きそう。


































































                年1の農業祭nanenaneに、来年は出れないことはわかってる。

                とうもろこしの大収穫も、大雨季明けのこの時期だから、
                小雨季でも作りはするけど、ここまでの大収穫はもう来ないかな。

                もろこしを焼いて食べさせてくれるのも、いつでもしてくれるようで、
                みんなにいつでも優しい大家さんちのお兄ちゃんFadhiliは、日曜日にondoka(出発)。

                学校のない時期は、こうして戻って来ているけど、
                また今週から再開なので、勉強をしに、出かけていきました。
                タンザニアの中等学校1年生。寮に住んでしっかり学ぶために。

                Fadhiliがいる間、とうもろこしの大収穫で、たくさん刈り取ってきたり、
                みんなで皮をせっせむいたり、子どもたちと遊んだり。

                家族が持ってきてくれたお饅頭を緑茶と一緒にみんなで食べたり。

                Fadhiliが学校へ出発する日、Mamaはご馳走のピラウ(こっち版ピラフ)作り。

                私が朝暗いうちからsafari(旅行)に出かけるとき、荷物を持ってよく道まで送ってくれていました。

                今回は私がお見送り。子どもたちと一緒に。荷物持つよって言ったけど、自分で持ってた。

                みんなお兄ちゃんに寄り添って、Fadhiliのこと大好きなんだね。

                また次は12月かな?それまでMasomo mema. (良い勉強を。)



                最近、残りの期間、って感じるようになってきた。

                今の日常は、この任地での生活なんだけど、

                だから、任地に戻って来るとすごく落ち着くし嬉しいし、

                いろんなことが、当たり前で。



                だけど、時間の流れが、ここのとこ早い。

                この間、タンザニアに来て1年と2カ月、って自分で書いてびっくりしたら、
                もうそこから半月も経った。



                今の私には、これがいつもの生活で、いつもの時間、なんだけど、

                これは、いつも、じゃないのかな。



                こちらは特に、自然があふれているから、景色も、農作物も、牛や山羊や鶏たちも、
                そして、子どもたちも、変化はすごくある。



                日常なんだけど、変化はすごくある。



                自分には、一瞬一瞬がとても大事。


                と同時に、焦る。


                でも、焦ったところで、仕方ないか。


                一期一会とはまさにこのこと。なのかな。



                人生、きっと一生そうなのかもしれないけど、

                私の今の時間は、今しかなくて、

                いつも、あるのではなくて。



                わかっているけど、頭では。なんだか難しい。



                帰るときなるべく後悔しないように。



                まだ全然帰国直前隊員ではないのだけど、そんな風に考え出した今日この頃でした。



                saki
                | - | 06:09 | comments(3) | trackbacks(0) | - | - | ↑TOP
                0
                  MWAKA MMOJA

                  お久しぶりです。
                  元気でした。(^^)

                  Judyにいろいろとアイディアを相談してみた結果、
                  農繁期との兼ね合いを考慮、そしてできることからという感じで、
                  ママグループを中心に、ものづくり講座を実施することにしました。

                  というのも、村を歩き回っていたとき、
                  ママグループに多く出会ったこと。彼らが、新たな学びの機会を求めていたこと。
                  村の農産物やその他の資源が、ようやくわかってきたので、それを活かした形で。

                  内容は、石けんづくり、蜜蝋キャンドルづくり、ドライベジタブルづくりの3種類。
                  下記は現状&いきさつメモ。

                  ☆石けんづくり
                  ・過去に別の地域で隊員が活動したことあり。
                  ・ひまわりを育てて油を自分たちで搾油している。
                  ・石けんは普段の生活からよく利用されている。(洗濯、食器洗い、水浴び、手洗い)

                  ☆蜜蝋キャンドルづくり
                  ・隣国で土産用に製作され成功している。
                  ・養蜂農家は多くいるので、蜂蜜の副産物として蜜蝋を確保できる。
                  ・電気が通っていない地域、停電も多いので、キャンドルは普段使いしている。

                  ☆ドライベジタブルづくり
                  ・昨年同職種の勉強会として別の地域で学んだ。
                  ・農産物は多くとれる地域であるが、季節によって出回る量や値段の変化が大きい。
                   (加工されておらず保存がきかない、輸送手段が乏しい。)
                  ・野菜を栽培できない地域が、近隣にも多くある。
                  ・豆やトウモロコシを普段から乾燥させており、乾燥させる網は各家庭が持っている。
                  ・コーヒーの収集所では、大規模な乾燥網があるが、収穫後の時期以外、
                   1年のうち半分以上の期間、使用されていない。


                  それで、前回のブログで立ち止まりまくっていたのは、目で見てみるとこんな感じ。




                  材料集め。意外と時間がかかる。

                  試作に次ぐ試作。意外と失敗しまくる。

                  Judyとの関係。いろいろ重なって、お互いが優しくなくなる。


                  スケジュール立てたけど、全然それ通りにはいかなくて、
                  いろいろな価値観も、ぶつかって、
                  自分が焦って、強引に進めたくなり、
                  思いやりを持てなくなり、
                  自分の笑顔が消えたのでした。


                  だけど、

                  私は、何かを教えるために、来たんじゃなくて。
                  すぐに目に見える成果を、出しに来たんじゃなくて。
                  日本、やるでしょ!って、示しに来たわけじゃなくて。


                  私はただ、タンザニア人と一緒になって、
                  あーだこーだ言いながら、
                  お互いの良いところをめっちゃ発見しまくって、
                  そして困っていることはお互いに助け合って、
                  笑顔で幸せに暮らしていきたい。

                  ただそれだけでした。


                  だから、認めて、信じることにしました。

                  何度裏切られても、諦めず。

                  目標を見失わず、準備を進めて。


                  大変だった。

                  大変だったけど、伝わっていたみたい。

                  信じないことには、始まらない!!


                  ものづくりの様子。これは石けんづくり講座のとき。



                  どこであろうが、すぐに台所?火元を確保できる。いい。



                  みんな真剣。まずは説明とうちらが実演。



                  そして実際にやってみてもらった。ママグループだけでなく、男性も呼びました。

                  これはキャンドル。家での試作のとき。







                  蜜蝋は商店で売っているろうそくより、もちが断然よくて。ほのかな蜂蜜の香りもなかなか良い。



                  家でのドライベジタブル試作。遊びに来ていたJudyの甥っ子Abdhuruもお手伝い。



                  パッキング。ふちを折り曲げてキャンドルによせて溶かして閉じる。



                  タンザニアは人参は切るんじゃなくてすって使う。タンザニア人と一緒にやるから、タンザニア流。


                  そして、ものづくりは、こんな感じだったのですが、
                  まず、はじめに嬉しかったのは、これ。



                  おもな活動地域3つの村でも、一番遠い村。
                  歩いていくと少し遠いので、普段行くことはあんまりなくて。

                  だけど、この村のオフィサーに渡しておいたら、ちゃんと貼っておいてくれていた。
                  写真と、参加してくれた人たちの名前一覧。
                  参加してくれた人が、喜んでくれているといいな。


                  そして、わずかな動きではあるんだけど、すごくすごく嬉しいこと。

                  今回のものづくり講座の、すごくすごく大事にしていた部分。

                  それは、学び合う環境づくり。学び合うネットワークづくり。参加者のEmpowerment。

                  と言っても、これはJudyのアイディア。すごい。というか私のアイディアじゃなくて情けない^^;

                  講座には、各ママグループからは少人数ずつを呼んで、
                  参加して学んだその人たちから、そのグループには教えてもらうように、お願いしました。

                  正直、講座自体には、新しい知識を知れる!ということで集まってくれて参加してくれたけど、
                  そこから先、実際に自分たちのグループに教えてくれるか、
                  取り組んでくれるか、まあ〜不安でした。

                  だけど、教えるよ!という連絡をもらって、行ってみた!!ら、



                  感動。自分たちで、必要な材料と道具。用意してる!!



                  私は後ろから見学。参加してくれた人が先生になってくれて。



                  どこでゲットしたんだか、講座用に私が作った資料は、綺麗なファイルに収められてた。嬉しい。


                  ただ、この動きはまだこのグループだけ。たった1グループ。

                  それでも、嬉しい。

                  だけど、まだまだ、これから。しっかり、頑張らなくちゃ。



                  それから、このものづくりの時間、せっかくなので啓発活動?も兼ねました。

                  石けんのときには、適切に石けんで手洗いをすることで、どんな病気がどれくらい減らせるか、
                  という話を少しして、石けん手洗い歌♪を歌いました。

                  「歌います!」と宣言して、歌ってみました!

                  本当は、正しい石けんでの手洗い方法の歌(日本語であるやつ)をスワヒリ語にしたいと、
                  お隣のおうちに持ちかけてみたんだけど、
                  そしたら、教会によく通っている小学校の先生の子が「任せて!」という感じで引き受けてくれ、
                  そしてできてみたら、「石けんでの手洗いが大事だよ♪」の歌になってた!でも?すごくいい!!

                  ♪Wimbo ya kunawa mikono kwa sabuni♪

                  1.    Unapotoka msalani, nawa mikono kwa sabuni. ×2

                    ※  Ili kuzuia ugonjwa wa tumbo pamoja na nimonia.
                     
                  Nawa mikono kwa sabuni ili kutunza afya yako. ×2

                  2.    Unapokula chakula, nawa mikono kwa sabuni. ×2

                    ※  rudia

                  メロディーは、こちらでは日常茶飯事耳にしている教会系の歌によくある感じ。
                  覚えやすくて、歌いやすい。

                  当日は、自分も含めて緊張をほぐすアイスブレーキングにもなって。

                  そして、参加してくれたママたちが自分たちで教えてくれるときにも、冒頭に歌ってくれていて!

                  講座終わりには、歌詞の紙を幼稚園の先生が、幼稚園に貼るから!と持って行ってくれて。

                  お隣の、Teacher!!本当にありがとう☆(^O^)


                  キャンドルのときは何もできなかったんだけど、ドライベジタブルのときは、
                  勉強会のときにやったことを、ごーく簡潔にして、こんなのを急遽作った。



                  (円、お鍋とか使って綺麗に描けば良かった…反省してます。)

                  ドライベジタブルは、普段使用しているものではないので、どんな利点があるのか?
                  ということと、こちらでは油や砂糖、お肉、穀物類などにとてーも偏っていて、
                  野菜の摂取量が本当に少ない。せっかくたくさんとれるのに。

                  なので、どんな食材にどんな栄養があってどんな働きをしてるのか、
                  バランスよく栄養をとっていく必要があって、お野菜もとるようにしてね!という、
                  栄養バランスの重要性について、冒頭に少し伝えました。


                  さて、そんなドライベジタブルづくりの様子。



                  三角巾代わりに、こちら流で頭に布を巻いてます。違和感ありあり。まだまだこれからですね。



                  実はこの日、任期2年間のうち1年目の、活動の最終日でした。


                  農業畜産課に属していることのギャップを常に感じながら、
                  それでも、自分にできることを、模索してやってきました。

                  周りが協力してくれたから、やってこれました。

                  この日、初めて、少しだけ、
                  ニーズに応えられたような気がしました。


                  私の現状には、課題がたくさんあって、
                  やっぱり、求められていることは、農業に特化した内容の、知識や技術、サービスです。

                  村の人が望むこと、配属先が望むこと、
                  きちんと話し合って、自分の役割を見つけていかなくちゃ。


                  でも、この1年目の最終日。



                  時間が許す人は、調理そして食べるところまでということで、
                  試作で作っておいたドライベジタブルを調理してもらいました。
                  ピラウ(こちら版ピラフ)という、こちらのご馳走料理。

                  参加してくれたママの一人が、私にソーダをご馳走してくれました。

                  こちらでは、飲み物と言ったら瓶入りソーダ。真面目な会議やイベントでもソーダ。
                  何かの終わりにはみんなでソーダ。お祝い事にもみんなでソーダ。

                  私も、行事の参加者として度々いただいたり、村長さんから村周りのときいただいたりしていた。

                  そして、この1年、至る所で何度も何度も「Nipe soda!(ソーダをくれ!)」と言われてきた。

                  白人(じゃないけど)の私を見て、見知らぬ人も、身近な仲良しな人も、本気も冗談も。

                  私が来たのはそんなんじゃない。

                  そう思って、こういう風に言われてあげたことなんてなかった。

                  気持ちは複雑だったけど、お金を出すことに対しては、だいぶシビアに関わってきた。


                  だけど、この日は、
                  役職もないママが、私にソーダをくれて、
                  一通り終えたあとに、ご馳走のピラウも作ってもらって、
                  みんなの協力があって、初めてニーズに応えられた気がして、
                  1年目の活動の最終日記念に。

                  Nipe soda!とは言われなかったけど、最後まで残ってくれていた人たちに、
                  感謝の気持ちを込めて、ソーダ。



                  今書いていて、批判も含めて、いろいろな考え方や意見があるだろうなって思う。
                  公平性とか、相手との関係性とか。
                  私は、この状況で、こうして良い、こうすべき、こうしたいと思って、
                  自分の気持ちもきちんと説明して、ご馳走しました。

                  お互いがとても気持ち良かったと思っています。



                  この帰り、別にソーダをあげたからでは決してないと今ならきちんとわかるんだけど、
                  長いこと距離があったJudyとの関係が、修復されて、
                  以前よりも思いやりのある、信頼関係になれているなぁって、感じられた。

                  何気ない会話なんだけど、すっごく笑った。

                  1年目の最終日に、気持ちよく終えることができた。


                  タンザニア、任地、周りのタンザニア人、

                  すごく好きでいられて、すごく嬉しいと思った。


                  恩返し。2年目。頑張るからね。



                  さて、1年終了ということで、中間報告会、総会、同職種の部会などが首都でありました。
                  それに合わせて、少しお休みをいただいて、行ってきました。




                  Mt.Meru



                  頂上から望むキリマンジャロ。



                  3泊4日の行程でした。ガイド、コック、ポーター(荷物を運んでくれる人たち)含めたチーム全員。

                  登山やっぱり好き。たーのしかった〜!!!

                  誇りを持って仕事をしているタンザニア人。みなとても素敵でした。Asanteni sana!!!


                  許可をいただいてるので、詳しくはこちら↓ もりこのブログ☆
                  http://morikom.blog81.fc2.com/blog-entry-404.html

                  登山中の写真たくさん出てます!!(みんなたくさん写真撮ってくれてあさんて!)



                  そして、登山翌日に体ひいひいの中、首都へ移動。
                  1年目を終えた同期隊員が集まっての中間報告会。

                  本当はだいぶ気が引けていて、
                  状況が全然違ってゼロからで、こんなにpolepole(ゆっくり)な状況、
                  特に学校現場ですぐに授業を開始した隊員の人たちには、話したくないなぁ、
                  実はそんな風に感じていました。

                  だけど、違った。それぞれの形で、みんながすごーーーーーく苦労してた。

                  それで、みんな格闘して、模索して、1年を終えて、良い顔してた♪(^^)

                  お互いの報告が、それぞれプラスになって、自分もその場にいれて嬉しかった。

                  苦しい時を一緒に乗り越えて来た仲間だった。ありがとう。

                  きっとまだこれからもいろーーんな大変なことやってくるんだろうな☆

                  でも、乗り越える術、少しは身につけられたような気がする!!!

                  みんなで笑顔で帰ろうね。


                  その後の、タンザニアの全隊員が集まっての総会時の一枚。タンザニアスタイルの正装で♪



                  少しは上手に頭に巻けるようになったかな。笑

                  タンザニアはまあ広いので、初めて会う隊員もたくさんいました。
                  交流はいつでも勉強になる。



                  そして、おまけ?


                  知っている人は知っている?!

                  念願の!!!


                  ビフォアーーーーーー





                  アフターーーーー!!!




                  坊主☆

                  見づらい?ごめんごめん!

                  説明?気持ち?最高ですよ。できることならずっとしたい!!

                  タンザニアには坊主の女性も多くいるのです☆学生は坊主じゃないとだし。

                  タンザニアスタイル!!!



                  さて、




                  これは、2年目の活動始め。

                  イレギュラーではあったんだけど、JICA関係者の方と、
                  いろいろな事業の現場視察に同行させてもらえました。
                  すごく良い出会い、そして勉強になりました。


                  2年目に入って、これまで過ごしてきた中での出会いが、
                  いろいろな形で生きてきているように、感じ始めたところです。

                  活動の中でも、生活の中でも。






                  Judyの誕生日祝い!!

                  これからまだ、どうなっていくかはわからないけど、
                  全てはJudyの協力があったから。

                  これからもよろしくね。



                  みんなが周りにいてくれて、一緒に笑っていられて、私はとっても、幸せです!

                  元気だよ。



                  そして、日本から送り出してくれて、見守ってくれて、応援してくれて、
                  この1年目、人生で一番苦しかった1年だった。

                  みんなからの優しさや励ましがなければ、到底やっていられませんでした。本当に。


                  ありがとう。


                  2年目も、健康と安全に気をつけて、そして笑顔でいようと思います。

                  まだまだこれからが本番!

                  もう1年間ないから。

                  大事に大事に、頑張っていきます。


                  これからもよろしくお願いします。


                  saki

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                  0
                    NINASIMAMA
                    うーん。。。

                    人間関係や、
                    生活環境に、

                    問題ない。

                    問題ないから、
                    活動のことが。

                    上司、という人は、いない。

                    配属先の課長はいるけど、あくまで配属先の長。

                    あたたかく、
                    そっと、
                    見守ってくれている。

                    放っておいてくれている。

                    同僚、は、いる。

                    配属先があるから、同僚、は、いる。

                    なんなら、私は村ベースで動いているから、
                    配属先の職員とではなくて、

                    同じ村や群を担当している、
                    地域開発課オフィサーや、健康課オフィサー、行政オフィサー、
                    違う課に属する人たちと、
                    関わることができる。

                    村の人も、そう。
                    村長、集落長、その補佐役の人たち、
                    ママグループのリーダー、そのさらに総括のリーダー、
                    学校の先生、幼稚園の先生、孤児院の先生、

                    そして、そういった役職には特についていない人たちがたくさん。
                    農家さん、大工や靴や服の職人さん、商人の人たち。

                    関わっている人たち
                    関わることのできる人たちは
                    たくさんいる。

                    いるんだけど。


                    活動方針

                    活動内容

                    実施方法

                    スケジュール


                    私は有難いことに、
                    カウンターパートとしてJudiがいてくれている。

                    提案して、相談して、一緒に決めている。


                    それが、決めた通りにはうまくいかないとき。


                    決めた通りにいかないのは、
                    この環境だと、当たり前のこと、というくらいの状況なんだけども。


                    状況を見ながら、修正しながら、進めていく。


                    そういう風には、しているんだけれども。


                    この状態を、どれくらい、強引に?

                    どれくらい、少し身勝手に、

                    誰と、どう関わって、

                    進めていけば良いんだろう。



                    たぶん別に、答えなんてないのかもしれない。

                    今のこの状況は、ここにしかないし、

                    ここの人たちは、ここにしかいないし、

                    私は、私しかいない。



                    焦らなくたって、

                    もし何もできなくたって、

                    ここの人たちは、いつも笑顔で親切に接してくれるし、

                    私自身は、毎月の手当で、生活はしていける。



                    だけど、難しい。



                    活動の目標自体、ある意味で、抽象的。

                    目に見えるものでない。



                    目に見えて、進捗を、計れるものでない。



                    応援も、協力も、してもらえる。


                    だけど、
                    私の状況を客観視して、

                    道筋を正したり、注意したり、叱咤激励したり、

                    評価してくれる人はいない。



                    これで良いのか、

                    っていう思いを、

                    うまく消化できないでいる。



                    良いと言ってあげたら、それは良いし、

                    えっ?全っ然ダメ!!

                    って言ったら、そうかもしれない。



                    残念ながら、
                    活動初期の頃はそういうことをちょうどうまく包み込んでもらえる人が、
                    事務所にいてくれたんだけど、

                    いろいろな変化があって、
                    いろいろな社会事情もあって、
                    今の事務所の方針は、
                    今の私の状況には、少し厳しいもの。



                    ボランティア、というなんとも難しい状況が、
                    今はのしかかってきている感じ。



                    成功


                    失敗



                    何が成功で、何が失敗だなんて、
                    何が良くて、何が間違っているなんて、



                    いつわかるのだろう。


                    どこをどう見て、判断すれば良いのだろう。



                    まだ何か、

                    目に見える結果が出たわけじゃありません。



                    生徒の成績が上がったわけじゃありません。

                    何かの収穫量が上がったわけじゃありません。

                    病気が減ったわけじゃありません。

                    収益が増えたわけじゃありません。



                    だけど。



                    自分で自分をコントロールするのは、難しい。



                    自分で自分を冷静に判断して、搔き立てたり、落ち着かせたり。



                    そんな、

                    あと1カ月で、

                    1年となる私。


                    任期は2年間だから、半分。



                    折り返すにあたって、ちゃんと自分を評価しよう。

                    できることなら、なるべく、

                    周りの人とも関わった形で、評価してみよう。



                    環境を変えれば人が変わるわけじゃない。


                    環境が変わったところで、何もしなければ、自分はそのまま。


                    よっぽど、環境を変えずに、自分を磨いていく人たちがすごい。



                    さて、気を抜くなよ、私。

                    大事な時間だからね。

                    大事な人生だからね。



                    祥希
                    | - | 03:57 | comments(10) | trackbacks(0) | - | - | ↑TOP
                    0
                      KWANGU

                      Leo nililia sana hata mara tatu.

                      Ningetaka kufanya shughuli.

                      Ningetaka kuanza mafunzo.

                      Tumeshapanga ratiba lakini haijaenda vizuri.

                      Anafanya kazi. Si mbaya.

                      Mbaya ni mimi.

                      Wenzangu wananisaidia sana.

                      Ningetaka kufanya kazi pamoja nao kadiri ya uwezo wao.

                      Pia ni bora nifanye kama hivi.

                      Lakini hii inachukua muda.

                      Kama nisiposubiri, nikiendelea peke yangu, itawezekana kuenda haraka.

                      Ni kweli?

                      Sijui.

                      Nikiendelea peke yangu, itaenda vizuri?

                      Nikisubiri sana, ninapoteza mawazo yangu.

                      Ninanichukia ninayoona kwamba sababu ya kuchelewa ni wenzangu.

                      Nisiache kupanga mawazo yangu.

                      Ratiba ikiharibika, panga tena tu.

                      Muda ninaoishi hapa unakaribia mwaka mmoja.

                      Nitatoaje taarifa ya shughuli mbele ya wengine.

                      Nikifikiria hivi, inaniharakisha.

                      Nina mawazo mengi sana.

                      Bado sijaweza kufanya mambo yoyote.

                      Ninaona kuwa ninataka kurudi mapema siku moja moja.

                      Lakini bado siwezi.

                      Kwani naogopa sana.

                      Hawajaniita? Hawajaniona? Hawajanisikia?

                      Nisione hivyo.

                      Anayefikiria hiyo ni mimi tu.

                      Mimi siyo Mtanzania.

                      Nimekua nchini Japani.

                      Si rahisi kuendelea shughuli vizuri.

                      Nisishindwe.

                      Sababu nimechagua njia hii mwenyewe.

                      Niendelee na raha.

                      Maisha yangu ni mara moja tu.

                      Ninawashukuru ninaopenda sana.

                      Naomba mnisubiri kidogo.


                      saki

                      | - | 03:24 | comments(2) | trackbacks(0) | - | - | ↑TOP
                      0
                        NIMEKOSEA LAKINI

                        生きてるかー!!??ってメッセージがfacebookにアップされるっていう夢を見た。

                        生きてます!

                        突然ですが、最近の私。ではないけれど




                        歌がうまそう!!!
                        うまかったら良いのに!!!

                        ええと、こないだブリーチ色のエクステと混ぜてsuka(髪編み)をしてましたが、
                        頭と髪を洗わないでなんと3週間耐えしのぎ、
                        というかもはや途中からはなんの葛藤もなく日々過ごしてたのですが。

                        そして、新隊員の歓迎会の幹事隊次だったこともあり、首都へ。
                        歓迎のためにsukaをとっておいたのです!!よ☆

                        で、豪勢な料理(日本食たち)を同期とわいわい作って、わいわい歓迎会をして、
                        首都はとっても暑かったので、さすがに頭洗いたーい!!
                        ということで、同期に髪をほどいてもらったら、こうなった。

                        いつかこの髪型にしたいと思った。が、念願の頭を洗ったら一瞬で消え去りました。

                        そして数日後。ビフォアーーー




                        アフターーーー!!!






                        後ろのもりこちゃんに切ってもらいました。

                        ちょっとわかりにくい角度で申し訳ないですが、まじ上手。

                        約10カ月ぶりの美容室でした。

                        いやあ本当にすっきりすっきり。

                        なんだか心まですっきりすっきり。

                        中学のときもショートだったけど、たぶんそれより短いね。

                        あーーーー気持ちいい。相当気に入ってます。

                        本当は野球がしたかったりスカートがすーすーしてはけなかったり、
                        人形遊びより木に登ったり虫採ってたりの方が好きだった私としては、
                        念願の男の子になれた気分でした。

                        この頃ちょっと悔しいこともあり、気持ちを強く持たなくちゃ、
                        そういう時でもあったので、なんだか、すごーーーーく、嬉しい断髪式でした。

                        本当にありがと〜!!!


                        さて、実は今の話はまあだいぶ遡った話でして、首都に上がったのは3月末でした。
                        それで、イースター連休もあってちょっと時間があったので、首都の近くの同期隊員を訪問。

                        4月。




                        船とうえりー。




                        教会。




                        夕暮れ。




                        月明かりの海。




                        やっぱり、私海好きです。
                        藤沢で生まれ育ったんだもんね。
                        毎年の凧揚げもゴミ拾いも、花火大会も初日の出も、
                        学生時代のなんだかはしゃいだ思い出も、
                        江の島だったもんね。

                        うーーーん、久しぶりの海でした〜!!!
                        山も海もある国、やっぱりいいなぁ。

                        海沿いでのーんびり過ごさせてもらったあと、別の同期のところへ。

                        そう、今日はイースター!!!あずちゃん!!本番ですよー♪



                        ほとんどあずのカメラで撮ってたから、良い写真がなかった。。。今度データちょうだい笑
                        左の端っこがあず。大好きなゴスペルを聖歌隊の一員としてステップ踏みながら歌ってた♪

                        大忙しの中、いつも練習おつかれさまー☆そしてこれからも応援してます!!!(^O^)


                        なんだかリフレッシュした日々でした。

                        なんだかんだ2週間近く日本人とばっかり過ごしてたので、
                        ちょっとドキドキしながら、みんなとお別れ。

                        と言いつつも、任地にはまだ戻らず。

                        実はそもそも首都に上がって来てたのは、
                        Judiがイースター休暇取って首都のお姉さんちに行くから一緒に行こうと言ってくれたので、
                        付いてきた、という理由でした。歓迎会も幹事代だったし。

                        お姉さんFatmaの子どもKiari。1才になった!!!ハピバスデイ!!



                        すごいおうち。おもちゃもすごい。旦那さんはケニア人。ケニアは、隣りなのに、なんだかすごい。




                        ガールズ!!!な感じ。の日々でした。
                        予定よりだいーぶ長くなって、結局全部で何泊したんだ?歓迎会の前と後で。8泊だ笑

                        最初はJudiと途中でJudiのMamaも同じバスに乗り込んで一緒に首都へ。
                        真ん中のお姉さんFatmaにお出迎えされておうちへ。
                        Judiの隣がお手伝いのFarida。
                        私がちょっと隠しちゃってるのが首都で勉強中のJudiの妹のMarriam。

                        一緒に、日本でいうアメ横みたいな?、何でもあって何でも安いカリヤコーで、
                        久しぶりのお買い物。お洋服とか!!買ってしまった!!

                        このときは、やはり自分も女の子だったかと一応気づけた笑

                        女子はすごいね。いつもはあんなにすぐに疲れたと休みたがるのに、
                        ショッピングのためならご飯も飲み物もなしで、あんなに長時間歩き回れるのね。
                        あんなに重い荷物もずっと持ち歩いていられるのね。

                        一番すごいのはMamaだったけど笑

                        おうちに帰ってからの早速のファッションショーもお決まり!!万国共通!!!
                        楽しかったなーーーー♪♪

                        お買い物なんてMamaの村やうちらの任地じゃするとこないからね。
                        存分に堪能しました。

                        あとは、soko(市場)でのお買い物とか、パン屋さんに寄ったりとか。

                        Judiのお兄さんの働いてるムヒンビリ病院にJudiが見てもらいに行くのに付いて行ったりとか、
                        Fatmaがエアーフレッシュスプレーの営業を兼ねていたりとか、
                        そのドクターのお兄さんちの子どもも1才になるとのことでおうちのパーティーに行ったりとか、
                        家のベッドでぼーっと一人で本読んだり映画見たりとか、
                        気付けば別の首都にいるお兄さんやその奥さんと子ども2人とか、首都で勉強してる弟や、
                        別の町でお仕事してるけどちょうど首都に上がって来てた別のお兄さんとか、
                        Judiは9人兄弟なのですが、今回でたくさんたくさん会えました。

                        それぞれの土地で、それぞれの環境で、みんな一所懸命にそして楽しく頑張っていました。
                        そして、みんな本当に仲良し。

                        なんか、まあ別に兄弟に限らずではあるけれど、タンザニア人は本当にみんな仲良し!!!

                        楽しかったなーーーーーー♪♪

                        Judiの兄弟はあとはお兄さん2人。この二人は北部のお隣の町アルーシャに住んでる。
                        これは、制覇が近いでしょう笑。楽しみだ☆

                        本当に長い間お世話になりました!!!!そしてまた遊びに行きますーーー☆
                        あさんてさな!!!


                        そして、任地に半月以上ぶりの帰還!!!やっぱり任地良いよね〜。
                        すごくほっとしたことを、今でも思い出す。

                        4月ももう下旬に差し掛かってきた・・・そんなとき。




                        お雛さま☆

                        が、ついに届きました!!!

                        いやぁ〜〜〜よく届いてくれました♪

                        小岩のおうち(親戚)からだったので、親経由でお手紙届いた?と連絡があってから、
                        早2カ月!!!

                        うーーーん☆何度も郵便局や配属先や職場のお手紙担当のとことかに行って、
                        アピールし続けた甲斐があったー!!!良かったーーー!!!

                        早速飾ったよー☆ありがとうございました♪(^U^)


                        そうして女の子の節句をお祝いしてもらった後は、




                        いぇーい!!!男の子の節句〜!!

                        「Asimame peke yake〜♪」(自分の足で立て♪)

                        とMamaたちが歌いながら、無理やり立たされるBrytonとJohans。笑

                        (Johansは生まれたときから名前が少し変わりました!こないだ最後に写ってた子だよ☆)

                        子どもの日だったし、初節句の男の子がお隣に二人もいたもんで、
                        微力ながら今日は子どもの日!特に男の子の誕生や成長をお祝いする日なの〜!と押しかけ、
                        お祝いしました♪



                        幼稚園児が作ったみたいな鯉のぼりは、私の渾身の作品。
                        工作系とか絵を描くのとか本当に苦手なのです。

                        が、こちらにいると物がないので、なんだかいろいろ作ります。作るしかないので。
                        でも、意外と楽しい。下手だけどね。のりとかカッターとかクレヨンとか、楽しい笑。

                        ちなみにお料理は、母親から横で教えてもらって結局自分だけで作ったことがなかった、
                        初めての天ぷら。と、ツナ缶を使った炊き込みご飯byいつものお鍋。
                        (凝った料理でなくてすみません。。のちのちいろいろ作ります。。。)

                        10カ月ぶり以上だったおかげで、初めての天ぷらは激うまでした。ありがたい笑

                        そして私が家に戻ったあとも、「Tempra ya hoho~♪」(ピーマンの天ぷら〜♪)
                        となんだか楽しそうに歌っててくれたので、タンザニア人にもまずまずおいしかった様子。
                        良かった良かった☆

                        昼間はいなかった大家さんファミリーにも男の子Kimaro(前出たことある)がいるし、
                        ということで夜には昼に揚げきってなかったお野菜たちをまた少し揚げて、
                        炊き込みご飯もフライパンで少しあたためて、お裾分け。

                        少しおしゃべりしたあと、大家さんちの塀に一人で座って少しのんびり。



                        月が綺麗でしたね。
                        本当は今日が満月みたいだけど、今夜は雨。

                        昨日は月が大きかったんだね。なんだかぼーっと眺めました。とても良い月でした。


                        そして昨晩は、月を見過ぎたせいか、夜全然寝付けませんでした笑

                        で今日はだいぶ寝坊。
                        タンザニアにしては珍しく9時くらいに起きたかな!(寝坊だよね→隊員へ笑)

                        軽めのお掃除をしたり、活動の準備をちろっとしたり、天ざるうどんを食べたり、
                        JudiがHuruma(初登場。写真はそのうち)のバイクにまたがって敷地内で運転してみたり、
                        Rubeni(前出たことある隣の男の子)の長ーい助走付きの紐跳び遊びに便乗したり、
                        そして跳んでみたら思った以上に腰が痛くなって体操してみたり、
                        Judiと姪っ子のナー(出たことあるね)と一緒に道までソーダをしにリフレッシュ!しに行ったり、
                        Duka(お店)でMichele(米)を買うつもりがMiche(苗)を買うとスワヒリ語を間違えちゃったら、
                        それだけで随分とみんなが長いこと大爆笑してくれたり、
                        そしてまた10カ月以上ぶりの天丼を食べて満足し、
                        なんだかとても平和で愉快な日曜日でした。


                        最近、ブログを更新したいと思いながらも、
                        正直活動の方がまじでまじで進んでいませんでした。

                        はじめに立てたスケジュール通りにはこれっぽっちもいかず、
                        準備や試しやでいろいろ時間がかかったり散々失敗したりして、
                        あ〜あと今は復活したけどそうえば人間関係もいろいろあったりして、
                        とてもとても、もどかしく、葛藤のある、日々でした。


                        でも、ようやくおととい?ついに成功した。
                        いやぁ〜たくさんの人に助けられて。ようやく。難しいことではないんだけどね。

                        私の周りのタンザニア人から見た日本人の印象は、
                        プロフェッショナルでも効率的でも頭の切れる人でも全然ないね。皆さますみません。

                        だけど、大家さんちにご飯持って行ったとき、Mamaが言ってくれた。
                        初めてやるときの失敗は、悪いもんじゃない。

                        散々準備に苦労したり、失敗したりを、目の前で随分と長い間見守ってくれてたからなぁ。
                        成功のときMamaはその場にいなかったけど、Baba(お父さん)から聞いてくれてたらしい。
                        おうちでBabaが報告してくれていたことも、嬉しい。


                        そろそろ、また動き出せそうかな。


                        そうえば、ずっと唯一反りの合っていないように感じてた、
                        唯一厳しかったり悔しかったりする態度をとられてきてた、配属先の課長。

                        こないだは、そんなことなかったなぁ。ちょっとびっくりしちゃった。

                        仕事の忙しさやご機嫌ももちろんあるとは思うけど。

                        なんかむしろ親切でいろいろ興味持ってくれていろいろ助けてくれて。


                        と、言っても、上で少し書いてた、人間関係というのは、Judiとのこと。


                        タンザニア人と、本気でぶつかると、すごくきつい。すっごくきつい。

                        ここはタンザニアだし、タンザニアで生まれ育ったタンザニア人と、
                        タンザニアタイムの中で、タンザニア文化の中で、タンザニアの生活の中で。


                        本当にどうなっちゃうかと思った。


                        でも、これまたタイミング良く、いい出会いがあって、
                        すごく心も頭もほぐされて、私だけでなく、たぶんJudiも。

                        お互いが落ち着けて、きちんと話を聞けて、きちんと話ができた。

                        前より、お互いのことを考えて、頑張れるようになった。


                        別に、具体的な何かがあったとか、何かに対して謝ったとか、
                        全然そんなんではないんだけど。

                        はあ、だからこそかな、大変だったーーー!!!

                        でも、今思えば、変に折れずに、素直にいて、良かったなぁと思う。

                        子どもっちゃ子どもだったのかもしれないけど、お互いすっきり。
                        少し大人になった?のではないかと思います!!


                        まあ〜そんな感じです。

                        大雨季で毎晩のように大雨大嵐だったり、
                        おっきなサソリが出て大騒ぎだったり、
                        お隣のおうちにまた新メンバーが加わったり(しかもおしゃれ♪)、

                        まあ、元気にやっています。と言えるでしょう!!


                        またそのうち更新します。Chakula(食事)紹介も全然まだだしねぇ。
                        参っちゃうねぇ。

                        来てもらった方が早いねぇ。笑

                        気長にお待ちください。です。


                        それでは☆



                        saki

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